Noism金森穣氏インタビュー

Noism金森穣氏インタビュー

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館の専属舞踊団Noism Company Niigataと、
佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童の初共演作『鬼』が7月30日に荘銀タクト鶴岡で上演されます。
りゅーとぴあで行われているクリエーションの最中、
演出振付・Noism芸術監督の金森穣さんへ作品にかける想いをお聞きしました。

──Noism として山形県で公演を行っていただくのは初めてです。まずは金森さんがどうしてダンスを始めたのか、きっかけをお聞かせください。

私は父が舞踊家で、6歳の時に引っ越した一軒家の1階に稽古場があったので生活の中に踊りがあったんです。だからごく自然に始めたという感じです。父も「(踊りを)やれ」といった覚えはないと言っていたし、私も「やらせてくれ」といった覚えもないので。どういうきっかけで踊りだしたのか、本当に家族の中でもわからない。けど、気がついたらスタジオにいて踊っていました。

──生活の一部として踊りがあったのですね。そのあと海外へ留学されたと伺いました。

17歳でスイスのモーリス・ベジャールのところに。東京の牧阿佐美バレヱ団というところに所属していたのですが、たまたまそこにいらっしゃったロシア人の先生が「ベジャールが新しく作るスクールに日本人の若い男性を入れたいけれど良い子はいないか」ということで、牧先生が自分を推薦してくださって。父が舞踊家だったということもありますが、私自身もヨーロッパあるいは海外に出たいとずっと思っていたので、本当に渡りに船ですぐ行ってしまったという感じです。

――その後、帰国されまして。

はい、10年ヨーロッパにいて。

――2004年からNoismを立ち上げられて、その時は日本で初めての劇場専属ということでしたが、いまだに唯一です。多くのアーティストは東京・首都圏で活動して発表しているイメージがありますが、金森さんが18年間ずっと新潟で活動を続ける理由を詳しくお聞かせください。

欧州に10年間いましたが、最初に行ったのがスイスのローザンヌです。ジュネーブでもチューリッヒでもなく。その後オランダに移籍してもアムステルダムではなくデンハーグ、その後のフランスでもパリじゃなくてリヨン。スウェーデンでもストックホルムじゃなくてヨーテボリ。所属した舞踊団はいずれも首都圏を離れた地方都市にあったんです。ヨーロッパの首都圏ではいわゆるクラシカル・古典的な、例えばグランドバレエみたいなものをオペラハウスでやっていて。逆にもっと前衛的で新しい現代的なものを世界的に展開する舞踊団は首都圏から離れた都市の劇場で活動していることが多い。だから私自身新潟に移住することに何の抵抗もなかったですし、むしろ東京にいるよりいいと感じていました。新潟から世界に向けて発信するんだってことで始めたので、もちろんこの国で活動している限り東京でも見せたいと思いますが、勝負しているのは世界です。

金森穣氏


――山形・鶴岡市は地方なので、東京に舞台を見に行くか、東京から誰かを呼んで劇場で上演して見てもらうか、ほぼ2択です。そんな中で同じ日本海側、隣接する新潟県で活動を続けていらっしゃる金森さん、Noismの活動を鶴岡の方々に知ってもらえることがとても意義のあることだと感じています。

地方の劇場が東京から来るものを見る場所としてしか機能していないというのは、本当にずっと問題視されていることで。その地域に住んでいる人たちにしてみたら、それくらいしか劇場の利用価値が無いと思ってしまう。劇場がものを創って発信する場所だということを考えたら、やっぱり独自のものを創っていかないと。それこそよく言われる文化格差を結局受け入れてしまって、助長すらしてしまう施設になりかねない。
東京から来る人たちの舞台を見られるのは嬉しいかもしれないけど、フッと引いてみるとそのために税金を使うというのはどうなんでしょう。東京の人たちがここに来て公演したいと思うとか、自分たちの地域にある舞踊団や作った舞台芸術が東京に呼ばれて公演に行くとか、世界に呼ばれて公演に行くとか。劇場はそういうための場所であるべきなんじゃないかなっていうのが、2004年にNoismを立ち上げた理由なんです。ただ、未だNoismだけなので、相変わらず各地方の劇場は同じ問題をどうしたら良いのか悩んでると思います。

――地方ならではのたくさんの良いもの、根付いているものがどんどん消えてしまっている状況を見ていると、本当に焦りを感じます。そういった中で、地方から発信される文化芸術に気づいてもらうきっかけに今回なればいいなと思っています。

我々Noismが首都圏でやる公演は、だいたい現地の劇場との共催で、場所を借りて作品を上演するんです。ですから、今回みたいに共同製作という形で他の地方の皆さんと一緒に作品を作って、地方を回ることの方が我々にとっては意義があるんです。ただ、東京に行かないと評論家も見ないし、賞の対象にもならない。立ち上げてから一切首都圏での公演をしていなかったら、たぶん今まで頂いたすべての賞をもらってないと思います。結局それも、例えば東京で公演したことによって得た賞を地元・新潟の人たちが新聞で見たりすると「あ!」ってなりますよね。外からの評価で初めて「意外と良いものなんだな」みたいに。そういう側面もあるので我々も東京に行って評価されることを有効活用しますが、でもそれが目的ではありません。

――今回、同じく新潟を拠点にして活動されている鼓童と初めて共演されるというのがとても意外に感じました。

そうなんです、意外ですよね。

――実現に至った経緯や、共演に対する金森さんの想いをお聞かせください。

鼓童とはNoism始まってすぐくらいに、私自身も佐渡に呼んでいただいてワークショップをしました。それこそ18年前なので今の代表の船橋(裕一郎)君はじめみんな若くて、自分も当時まだ29、30歳くらい。向こうも新しい刺激を得たいということで、結構公演も観に行きましたし、呼ばれたりもして。これから色んな交流があるかなと思っていた時に、ちょっと鼓童の体制が変わったんです。ある種の新しい方向性に鼓童が舵を切ったことによって、少し疎遠になっていたんです。
そこから鼓童もいろいろ経て、今の船橋君の体制になったことを受けて、自分自身も何かまた一緒にできる機会があればな、と思っていたところにZoomで船橋君と対談をする機会がありました。
「彼が代表になった今、これから新しく鼓童も何かしようとしている時であれば、面白いことできるかな」ってその時に思って。すぐに打診をして実現に至りました。本当にようやくだし、嬉しいです。

――あのZoom対談の中で「2022年の春夏で共演しましょう」というやり取りがあったかと思いますが……

冗談っぽく言ってましたけど、本気でしたからね(笑)。あの話聞いてたスタッフたちも「え、そうなの?」みたいなことになってたと思います。でも意外と何かが決まるときって、もちろん自分の中のインスピレーションもそうですけどタイミングというか、向こうも何かあるんですよね。時の流れというか。それを逃さないようにしないといけないので、ここだと思って打診しました。

――ジャストフィットだったわけですね。

鼓童から快諾していただいて、すごく嬉しかったです。今までも鼓童の楽曲で振り付けしたことはあるのですが、今回は新曲でのコラボレーションというのが重要です。鼓童も新しい芸術性を開拓していきたいときだし、我々は常にそう思っているので、それであればゼロからオリジナルの楽曲を作曲してもらう人を考えていました。
ちょうど3年前に原田敬子さんとご一緒させていただく機会があったのですが、素晴らしい作曲家、芸術家なんです。その原田さんが作る楽曲で鼓童さんが演奏するのを、まず単純に聴いてみたいなと。打診したら原田さんからも快諾していただけたのですごく良かったです。

――鼓童の生演奏で共演されるということで、その中で生まれる相乗効果や化学反応など、金森さんが期待されていることをお聞かせください。

生演奏ですから、圧倒的なエネルギーの量だと思います。うちの舞踊家だけでも12人くらいで、それだけでも結構なエネルギーになる。そこにライブで演奏家たち、しかも鼓童の肉体的な強度、鍛錬に基づいたエネルギーが加わる。それらが合わさったら相当な磁場が生まれるだろうし、感じながら踊るうちの舞踊家も見たいし、それを感じながら演奏する鼓童も見たい、聴きたい。本当にどうなるのか、とても楽しみです。
演奏家たちもすごく集中してお互い関係性をもっている。舞踊家も当然そう。しかもそれがライブで来るわけで、指揮者もいないから呼吸で合わせないといけない。なかなかの緊張感というか、楽しみです。

リハーサルの様子

――今回どのような理由で「鬼」というタイトルにされたのでしょうか。

原田敬子さんに作曲をお願いするときに「新潟」をテーマにしたいと伝えました。18年間新潟で活動してきてこの9月から新体制になることも踏まえて、良い機会だから今までやったことがなくて記念になるようなことって何かなと思ったら、やっぱり新潟のための作品。
ただ、新潟といっても、すごく漠然としていて、山あり、海あり、平野あり、風あり、雪あり、郷土あり、風土あり、文化あり……じゃあどこから切り込むのかって話なんですが、逆に原田さんの中で何が引っかかるかなと思って。とりあえず、ざっくりそういう感じで投げたら……「鬼」で来たんです。
鼓童の前身が「鬼太鼓座(おんでこざ)」だったり、鬼太鼓っていう文化があったり、それはそれで「鬼かぁ、どうしようかな」と思って。自分なりに鬼について色々勉強していたら、佐渡であるとか金山銀山とか修験道とか色々なことがガチャガチャガチャって動き出して「もうこれは鬼しかないよね」と。

――鶴岡にも佐渡島が絡んでいる鬼の伝説がありました。調べるとどんどん出てきそうです。

鬼は本当に多種多様。どこを切り取るかとか、インスピレーションやとっかかりとしてはすごく面白いなと思って。佐渡島の金山が世界遺産に推薦されましたが、別にそれで金山銀山をテーマにしたわけではないんです。だいたい事後的にそういうことが起こるんです。何かをやると何かが起こって「あ!それでこうしたのね」って思われるようなことが自分の人生の中で結構あるんです。「そうじゃないんだけどな~」とは思いますが「まあ、いいや」みたいな(笑)。それがプラスになるんだったらいいかな、と思っています。今回も新作は「鬼」でいくと決めたら、その後すぐに世界遺産推薦が決まって驚きました。

――本当にタイミングとしてちょうどいいと感じていました。ちなみに鶴岡市には修験道で有名な出羽三山があります。その山を開いたとされる、蜂子皇子という方の絵を見ると、見た目が鬼の形相なんです。鶴岡としての鬼との関わり方もあるのかなと思います。

絶対にあるでしょうね。金山とかに由来があったりとかするところだと鬼は必ずしも忌避するものじゃなくて、すごく慕われたり、大切にされてるお話もいっぱいあるんです。
現代、近代ぐらいになると、鬼って忌み嫌われるというか、「鬼は外」になるわけですが、ある地方では「鬼は内」なんですよね。だからそういう多様性、鬼と言ったときに単純に嫌なものではなくて、両義的な、誰の心にもあって、ある視座から見ればすごく大切にされて尊ばれるものでもあるということが結構大事で。「鬼をテーマにやります」とはいっても、鬼は外で鬼退治で終わり、と思われるとちょっと困っちゃいますね。

――色んな意味が含まれた「鬼」を見た方がそれぞれ解釈してくれると嬉しいです。
――最後に、鶴岡で初めて出会うという方がとてもたくさんいらっしゃると思います。そういった方たちに向けてメッセージを頂けますでしょうか。

本当に、すごく楽しみです。何を感じていただけるかわからないですが、すぐ隣の県で暮らしていて芸術活動をしている我々なので、この機会にぜひ見に来てほしいです。そこで見ていただいた方が触発されて何かを始めることによって、日本海側が活性化してクリエイティブになっていくととても嬉しいですね。東京ではなく、新潟の舞台を観にきてください!

――ありがとうございました。鶴岡でお待ちしております!

インタビュー・編集:髙橋幸介/撮影:五十嵐咲紀


金森穣
Jo Kanamori
 www.jokanamori.com
演出振付家、舞踊家。りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督、Noism Company Niigata芸術監督。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。ルードラ在学中から創作を始め、NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家、演出振付家として活躍したのち帰国。2004年4月、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督に就任し、日本初の劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。サイトウ・キネン・フェスティバル松本での小澤征爾指揮によるオペラの演出振付を行う等、幅広く活動している。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞ほか受賞歴多数。令和3年紫綬褒章。

Noism Company Niigata
ノイズム・カンパニー・ニイガタ www.noism.jp
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。芸術監督は金森穣。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに活動を展開するとともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根ざした活動を行っている。Noismの由来は「no-ism=無主義」。特定の主義を持たず、歴史上蓄積されてきた様々な身体知を用いて、あらゆるismを再検証することで、今この時代に有用な新しい形に置き換え、現代人としての身体表現を後世に伝えていこうとしている。

太鼓芸能集団 鼓童
KODO www.kodo.or.jp
新潟県佐渡島を拠点に太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、現代への再創造を試みる集団。1971年より「佐渡の國鬼太鼓座」として10年間活動ののち、81年、ベルリン芸術祭でデビュー。以来53の国と地域で6,500回を越える公演を行う。多様な文化や生き方が響き合う「ひとつの地球」をテーマとした「ワン・アース・ツアー」という劇場公演の他、小中高校生との交流を目的とした「交流学校公演」、様々なジャンルのアーティストとの共演、映画やゲーム音楽への参加など幅広い活動を行っている。本拠地・佐渡においては88年より国際芸術祭「アース・セレブレーション(地球の祝祭)」を開催し、国際交流や地域振興にも寄与している。


りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 ×ロームシアター京都×愛知県芸術劇場×荘銀タクト鶴岡 連携プログラム
Noism×鼓童『鬼』
同時上演:ディアギレフ生誕150周年・ストラヴィンスキー『結婚』
2022年7月30日(土) 荘銀タクト鶴岡〈大ホール〉
公演情報はコチラからご覧ください。

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