タクトしんぶんVol.10

タクトしんぶん

タクトしんぶんVol.10
artwork/mao simmons

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「あなたが発信する音楽やアートは誰かのハッとする瞬間になる。」

地元のアーティストがタクトを使ってここから新しいものを生む、創作する、発信する場所にしたい。
そんな発想から、4年前に荘銀タクト鶴岡の市民サポーター制度〈アーティスト部門〉が発足しました。そして、昨年10月15日、〈アーティスト部門〉の表現者たちによる第1回目の『おとアート2023』が開催されました。

「企画から当日運営まで市民やアーティストと協働して創る」
中心的存在となっていただけそうな方へタクトからお声がけしたのは約10名。開催日までのミーティングは全体への説明会を含め10回以上。能動的に関わってくださった方々へこの場を借りて心から感謝を伝えます。

イベントが終わり、2か月が経った12月。企画、制作に携わった中心人物 BORZOI とタクトスタッフ伊藤がおとアートを振り返った記録映像、『おとアート2023』PVをタクト公式YouTube、SNSなどで公開しました。
この『おとアート2023』PV製作は、悔しくもコロナの影響により無観客で開催した2021年度の「おとアート」(動画配信事業)の撮影隊の1人がイベント当日、そこに居た人たちの表情を見て、これを形に残したいと想ったその時の情動が実現されたものです。

『おとアート2023』振り返りの記録 【BORZOI×ReikoIto】

R:いろいろありましたね(笑)

B:こういう企画自体、経験ゼロからだったからアーティストもタクトも組み立て方、関わり方がわからないところにいた。最初の顔合わせは2月のお茶会だったかな。そこで公共ホールであるタクトの役割とか、理念を一旦共有したところから始まって準備期間が約半年。1回目のおとアートは「何があるかわからないおもしろさ」を体現したイベントになったと思う。

R:アーティスト同士が当日ゲリラでセッション。これが起こったことはイベントの本望だったと思う。

B:カオス。この場に来た人が口をそろえて言う。カオス(笑)。

R:予定調和じゃないおもしろさの幅があったと思う。あの日あの場所だから起きたこと。何か覚醒する、じゃないけどアーティストにとってもチャレンジングな場になっていたような気がする。いわゆるプロからアマチュアまで表現の場を共にした。見る側も「何かできるかも」って自分の可能性を視たかもしれない。

B:確立されたプロの良さだけじゃなく、抜き身の表現。圧倒的なパワーがあった。爆発しそうな自分を出したい人がそこにいる。そこに触れられる、表現できる場所があるって幸せ。

R:いろんな表現がある。正解、不正解じゃない選択肢が増えるっていいですよね。

B:次回があるとして……回数重ねて咀嚼する。表現が磨かれていくイメージを持っていくって大切。 興行としてアーティストを招聘するものとは違うからね……。ここ(鶴岡)、またはここにゆかりのある人の熱量が大事。

R:人に見てもらう、感動してもらう。そういう経験を踏まえてどんどん熱量が上がって楽しみが増えたらいいですよね。実体験として身体がのみこんでいって次の表現に繋がったらいいなと思う。

B:プロのアーティストもあの場ではフラットだったし、タクトを全開放、動線も考えて物理的にもフラットな空間をつくった。

R:プロの人こそ柔軟でしたね。制限はある意味チャンス。その中で最大限にやる。出来ないじゃなくてそこに合わせてくるっていう余裕があった。表現は技術じゃないって思った。

B:ポジティブな人はビジョンが見えてる。ここで出来るMAXを知ってる。

R:話ができるからものすごく助けてもらった。そういう人に刺激をもらったし、とにかくいろんな人が交わる。それがおもしろかった。

R:土地の風土を背負ってる食文化の力は強力でしたね。

B:しかも人の口に入るもの。目に見える栄養を人々に与えてる!ということはアートは目に見えない栄養かっっ(驚)。「食」って直接的にはアートではないけど、この企画の主旨を理解して参加してくれた。これは料理なのか。アートなのか。そこにいた人は「食」っていうものを新しい視点で何か感じ取ったかもしれない。

R:食材の組み合わせとか、これとこれを混ぜたらきっとおいしいとか、想像力が半端じゃない。本当にクリエイティブなことを素でやっている……。

B:食分野の人が関わることでアートの道にいる人が感化されてもっと柔軟になれる可能性もあるよね。

R:生きると食べるは直結するけど、文化芸術って言われるとまだ一部の人の趣味嗜好って思ってる人は実際いると思う。けど「人間らしい」って意味ではむしろこの世にアートはなきゃダメで、そこに傾ける熱量こそ「生きる」そのものだと思う。何かに感動するとか心が動くってその人を動かす原動力。何かにドキドキしないと!それがもらえるアートの力って生きる力なんだと思う。その経験はすぐに表出するわけではなく、10年、20年後に響いてくるんじゃないかな。それをひたすらやっていく。体感として子どもたちに入れていくっていうイメージ。それをやりたい。「これがいい」って選べる選択肢を用意するのは大人の、社会の役割だと思うんです。ロックがあって、次の瞬間クラシックになる。いろんなものがあっていろんな人がいる。それを知った瞬間自分の世界が広くなる。他を理解しようとなるわけで、極論ですけど世界平和につながるんじゃないかな(笑)。わたしと違うあなた。それいいねっ!て。

B:観る人の許容力だよね。閉じたらそこで終わり。

R:自分以外の世界を知って許せるように。NGが少なくなると生きる強さが持てる気がする。それしか知らなくてそれが正解と思ってしまうのは悲しい。そこをプロのアーティストは圧倒的な体験と選択肢を与えてくれる。人の思考を深めてくれる。そういうアーティストがここにはいると思う。

B:アーティストのライブペイントを間近で見ることもすごい体験だと思った。
非日常を提供する場所でもあるここで起きたことは、そういう言う意味で「間の体験」を提供できたのかもしれない。日常と非日常の間の体験。

R:あと、内部の人間では見つけられない利用者側の目線も大事。地域の人が使ってみたい形が本来の使い方なのでは……と思う。非日常を体感する場所でもある大ホールも、今回はフラットな動線の一部になった。より演者側と観る側の目線が近くなって受け取り方がダイレクトだったんじゃないかな。タクト全てを公園にする試み。ものすごいハードルでしたけど(笑)

B:高校生とかが来てて、次は自分が!ってなったら最高だよね。

B:妹島さんの建築コンセプトにもあるように公演が無い日もふらっと立ち寄れる場所に。から着想を得て、参加アーティストへのイメージ共有として「アートが集う公園」になったわけだけど、 代々木公園とかNYの地下通路みたいな自分がアートしてる感覚すらないような自然に出てくるあの表現のイメージを伝えるってなると、コンクリートの建物でこれをやるってアーティスト側も少し落とし込むのに時間がかかったよね。

R:国の文化背景の違いもありますしね。

B:アートが至高となるか日常となるか……。

B:見てる人の心を掴んだ感覚は確かにあったと思う。そういうエネルギーのあるアーティストが地元にはたくさんいることを知ってほしい。鬱積したものをプラスのオーラに変えて「表現」 になるって。マイナスなこととかのつぶやきは文句になるけど大きい声ならロックンロールになる。
攻撃の仕方がオシャレかそうじゃないかっていう…。アートは暴力や攻撃には寄らないし、ならない。世に言いたいこと、社会に訴えたいこと、そういうハードな表現をこのお堅い施設(笑)ブンカカイカンでやったことはすごく意味があったんじゃないかな。

―—おとアートとは?
B:分岐点。おとアートをやった人生かそうじゃないか。やったんだからもう戻れない(笑)。
やんなかったら自分の中でのアートの意味合いもここまで咀嚼できなかった。

R:生みの苦しみはありますよね(笑)。

B:その苦しみすら気持ちいい。

R:(笑)

B:おとアートの立ち上げ以前からアーティストとして携わっていて、それまでもタクトとはとてつもなくいろんな出来事があって……。やっと有観客で第1回目を開催するために集まったお茶会(顔合わせ)はタクトもアーティストもビジョンが真っ暗で手探りな感じだった。思えばそこからすでに自分の「分岐点」だった。深く携わったら傷だらけになるけど絶対面白いって思ったんです。良くも悪くも予想通りになりました(笑)

R:私は「熱」ですかね……。人の熱。
大変なこともたくさんあって、「なんでやってるんだっけ」みたいな時も正直あります(笑)。どこからももらえないガソリンって自分から出すしかないわけだけど、じゃあ何が自分を動かす熱なんだ?って辿ったとき、やっぱり関わってくれる人がいるから。 それこそ本来の人間の熱で動いてる人が側にいるから自分も動けた。

―—当日印象に残ったこと
B:バンドの上田君。最後ベロンベロンに酔っぱらって「めちゃくちゃさみしい」って。「みんな帰っちゃうんだもん」ってね。これアーティストが言うって……これ見たくてやってきたのかもって思った。最終的に台車に乗せて搬出したけどね(笑)。

―—この先について
B:表現者側と観る側(表現のチカラ、観るチカラ)がどっちも上がっていったらいいよね。

R:そこを目指したい。そういう話がしたいですね(笑)。

B:その熱ね。

 

 

 

 

 

 

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